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「アメリカの世紀」と中国

2010/03/04 20:00

 

 オバマ米大統領がチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世と会談した。ニュースを聞いていて、米中関係をめぐる因縁めいた話を思い出した。

 

 20世紀が「アメリカの世紀」と呼ばれたのは多くの人が知っている。だが、この言葉が米国で生まれて世界に広がったのは、たかだか70年ほど前のことだった。

 

 時事週刊誌「タイム」、写真誌「ライフ」、ビジネス誌「フォーブズ」などを創設した米国のメディア王で知られるヘンリー・ルースが1941年2月、「アメリカの世紀」と題する論説を自ら編集長を務めるライフ誌に発表したのがその始まりだ。

 

……17世紀、そして1819世紀を通じて、われらのアメリカ大陸は多様な活動と壮大な目的に満ちていた。それらのすべてを織り成し、一貫していたのは自由という輝かしい目標であった。この精神に基づいて、われわれすべてがそれぞれの能力と理念に応じて取り組まねばならない使命がある。それは偉大なアメリカの世紀を築くことである」(アメリカの世紀より)

 

 時は欧州大戦のさなかである。英国はヒトラーの攻勢に苦戦し、アジアも風雲急を告げていた。ところが当時の米国では、ひところの日本の「一国平和主義」と似て、「世界がどうなろうと関係ない」といった孤立主義的な考え方がまだ主流を占めていた。

 

 そんな中でルースは「米国は孤立主義を捨てて英国を支援し、ナチズムと戦うべきだ」と参戦を訴えた。自由や民主主義などの「価値や理念」の下に諸国を結集し、英国に代わって新たな秩序を築く指導的役割を担うべきだ-と国民に呼びかけたのだった。

 

 ルースは共和党員で、ソ連共産主義やナチス・ドイツのような左右の全体主義を忌避し、自由を掲げる反共保守の言論人だった。その訴えはやがて国民にも共有され、党派を超えてルーズベルト政権(民主党)を動かし、米国は参戦に向かう。英国フランス、ソ連などにナチスと戦うための武器を供与する「レンドリース法」が制定され、米国連合国の指導国となっていく。「アメリカの世紀」論文は、内向きになりがちだった米国民の心に「世界の中の米国」の自覚と時代の精神を刻んだといってもいい。

 

では、ルースが唱えた国際主義はどこからきたのだろうか。ルースの経歴を調べてみると、その源流は中国にあったのだ。

 

 ルースの父親はプロテスタントの一派で長老派教会と呼ばれる宗派の宣教師だった。清朝末期に宣教師の子として生まれ、山東省で育った。その後、ルースは15歳で米国に戻り、エール大学や英オックスフォード大学で学んだ。その中で、開かれた米国社会と、いまだに封建制の名残りが続く中国社会の民衆生活の間に横たわる壮大なギャップを痛感したという。成人して言論人となった後も、ルースの心には「中国に改革と民主主義が必要だ」という熱い思いがみなぎっていたという。幼少時に肌で触れた中国の人々を思う情熱がその思想を貫いていた。

 

 ルース論文にこめられたキリスト教精神に基づく国際主義は、第二次大戦後も冷戦を経て米外交・安全保障政策の屋台骨となっっていった。その思いは、今もオバマ政権の国務省ホームページで「ヘンリー・ルースと20世紀のアメリカ国際主義」と題して紹介されていることにも表れている。

 

 ナチズムは倒れ、ソ連共産主義も(ルースの死後ではあったが)ついには崩壊した。しかし、中国の民主改革への願いは実らないまま米国の世紀(20世紀)は過ぎていった。

 

 今や中国は地球規模で存在感を高めつつある。大統領がダライ・ラマと会うのも遠慮しがちになるほど、米中双方の力関係も微妙に変わってきている。21世紀を「アジアの世紀」と呼ぶ人もいれば、「中国の世紀」になると予想する人すら少なくない。

 

 それでも、誰かが中国に責任ある行動を求め、際限のない軍拡をとがめなければならない。人権などの国際規範を尊重させることも必要だ。現代の世界でそうしたソフトやハードの力を持ち合わせている国があるとすれば、それは米国以外にはないだろう。

 

 政治も経済も、米国だけでは動かない時代になったとすれば、頼れる同盟国としての日本がなおさらしっかりしなければならない。日本にとって「アメリカの世紀」が問いかけたものはそういうことだと思う。

 

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「ユキオを困らせるな」となるだろうか?

2010/02/07 16:42

 

 プレーキペダルの不具合から始まって、ハイブリッド車のブレーキ問題まで「トヨタ問題」が米国で加熱しつつあるようだ。第2次大戦後の日米関係の歴史は、日米同盟における安全保障と、経済・通商という二つの位相が相互に影響しあってきた。1972年の沖縄返還時には、ニクソン政権が沖縄返還に応じる見返りに、佐藤栄作首相に対して繊維輸出問題で日本側の譲歩を求めたことがあり、「ナワ(沖縄)とイト(繊維輸出問題)の取引き」と呼ばれたことがある。

 

 近くは小泉純一郎政権時代に牛肉輸入問題などで日米関係が紛糾しかけたとき、ブッシュ大統領は自衛隊のイラク派遣などで協力を深めてきた小泉首相に配慮して、「コイズミを困らせるな」と米当局者をたしなめたと伝えられる。これは「ブッシュ=コイズミ」の首脳同士の連帯と信頼感の強さに加えて、安保と経済の補完関係がうまく運んだ例といえるだろう。

 

 では「バラク=ユキオ」の今の日米関係はどうだろうか。米国は秋の中間選挙を控えて、保護主義感情が高まりつつある。議会で相次いでトヨタ問題の公聴会が開かれることになっており、トヨタ問題をめぐって米議会、政府、メディアが熱くなり始めているのもそのせいだろう。

 

しかし、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題をはじめとして同盟の約束を果たそうともせず、経済・安保の両面で存在感が薄れつつある日本に対して、オバマ氏が「ユキオを困らせるな」という気に果たしてなるだろうか。

 

 オバマ米大統領の一般教書演説と鳩山由紀夫首相の施政方針演説が先月末、それぞれに行われた。日米の指導者が今年の政治課題を内外に説明したことになる。

 

 ともに政権交代を達成したものの、内外に多くの課題を抱え、支持率低迷の逆風下にある。オバマ氏も鳩山氏も、政治的環境が似通ってきた。だが、共通点はそれぐらいで、演説の中身となると、かなり異なる印象を受けた。

 

 オバマ氏は昨年1年間、医療保険改革にこだわって雇用や景気回復など国民の期待に応えなかった現実を率直に反省した。議会多数派(民主党)の横暴を許して、超党派政治を取り戻す公約を怠ったことも認めた。理想主義の看板は下ろさず、前政権に責任転嫁する部分もあったが、それなりに現実的対策を示す姿勢がみられた。

 

 これに比べ、鳩山氏の演説はガンジーの引用や「いのち」の連呼(24回)だけが耳に残った。何をどうするかの具体的説明も欠き、説得力も感じられなかった。「歴代最長」の貴重な演説時間が空疎な理念と情緒的表現に浪費されたのは惜しまれる。

 

 だが、こうした違いよりも、もっと気になったことがある。それはオバマ氏70分間の演説の中で、同盟国である「日本」や「日米同盟」の意義に一度も触れなかったことだ。

 

 もちろん、米大統領の教書演説に常に日本が登場するはずもないのは当然のことだろう。今回は全体の3分の2が内政・経済に注がれていたこともあって、同盟関係や安全保障を短縮したとしても確かに不自然ではない。それでも演説を読み返すと、いささか奇異な感じがしてならないのだ。

 

 オバマ氏は「米国が二番手になるのは認められない」と世界の経済再建競争で先頭に立つ決意を示し、ドイツ中国インドを引き合いに出したが、日本の存在には触れようとしなかった。

 

 雇用と大型景気対策となる高速鉄道計画の下りでも、欧州や中国に触れただけだった。しかし、日本の新幹線やリニア技術は世界をリードし、昨年2月、麻生太郎首相(当時)が訪米して首脳会談をした際にもこれらを売り込んだ。オバマ氏がわずか1年前の会談を忘れたとも思えない。

 

 外交関連部分でも、テロとの戦い、アフガニスタン支援、イランの核問題、北朝鮮6カ国協議、金融危機などで「日本」や「日米同盟」は一度も出なかった。

 

 ブッシュ前大統領は演説でしばしば日本に言及し、「リップサービス」もあったにせよ、経済・安保のよき同盟パートナーとして紹介した。オバマ氏も昨年6月、カイロ大学でイスラム社会向けに行った演説では「開発と伝統文化を共存させて成功した国」として日本と韓国を例示している。

 

 首相の「トラストミー」発言などで首脳同士の信頼を裏切られ、「頼れる同盟国」とはいい難い状況が続いている。そう考えると、大統領演説での「日本消失」は鳩山政権への無言のメッセージだったのではないだろうか。

 

 壮考えるのは私の「杞憂」かもしれないし、「邪推」かもしれない。だが、昨夏の政権交代以降、鳩山政権は普天間飛行場移設問題で迷走を続け、海上自衛隊によるインド洋補給支援活動も撤収してしまった。同盟深化協議では、在日米軍の地位協定や「思いやり予算」の見直しにも踏み込みたいという。

 

 オバマ演説後の21日、米国防総省が公表した「4年ごとの国防計画見直し」(QDR)報告は、地球規模で軍拡を進める中国の長期的意図に関して、米国の警戒と備えを強める方向へ明確にかじを切った。普天間移設を含む米軍再編計画はその緊急かつ不可欠な要素だ。

 

にもかかわらず、普天間問題を先送りしたままで同盟の核心を避けた深化協議には、どれほどの意味があるのだろうか。

 

 米議会やメディア、世論で日本車たたきのような不穏な動きが始まったりしたときに、日米両国政府が冷静に問題の沈静化を図れるかどうか。かつてのブッシュ前大統領のように、オバマ氏が「ユキオを困らせるな」とみずからの指導力をかけて日本のために動いてくれるような雰囲気は全く見えない。それはアメリカにとっても日本にとっても不幸なことである。

 

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「エビータ」の世界に見た鳩山政権の日本

2010/01/27 14:53

 

 久しぶりにミュージカルをみたい――という気分になって新春の一日、劇団四季のミュージカル「エビータ」を見にいった。

 

舞台は第二次大戦直前、直後のアルゼンチン。田舎出の野心的な娘が歌手やダンサーを経て、首都ブエノスアイレスに出て行く。美貌と歌と踊りを発揮して社交界の華となり、政界にも知られる。ついには大統領夫人に成り上がる物語はおなじみだ。公演もすばらしかった。

 

その中でも印象に残った圧巻は、ペロン大統領とエビータ夫人が労働者階級を抱き込んでポピュリズム(大衆迎合)政治に突き進む場面である。

 

 ストーリー的にはペロン夫妻が労組や大衆組織と手を組み、危機をあおって独裁的な権力を固めていく場面である。背景に「国有化断行」「賃金・公共支出拡大」「福祉増額」などのスローガンを大書したプラカードが舞台狭しと並ぶ。それらを見ていると、なぜか今の民主党政権の姿が二重写しに見えてくるのだった。

 

そう感じたのは私だけではなかったようだ。実際、観客席では、歌と踊りを楽しみながらも、「このプラカードの中に、『子ども手当』や『国債乱発』を加えたら、鳩山(由紀夫)さんと同じだね」というささやきが流れていた。そういえば、男と権力を踏み台にファーストレディーにのし上がる主人公もどこかの夫人と似ている。

 

 舞台となった南米第2の大国アルゼンチンは、もともと豊かな農業国で資源も豊富だった。しかし、第二次大戦直後にペロン夫妻が権力を握ると、富裕層から容赦なく資産を取り上げ、大衆にばらまく迎合政治を展開した。成長戦略もないまま、産業国有化や管理貿易など無謀な国家社会主義的政策を強行した。経済は崩壊し、またたくまに国家と国民の心を荒廃させてしまったという。

 

 原作者ロイド・ウエバーは権力の暴走がいかに民主国家を危うくするかを描きたかったそうだ。だが、ミュージカルの巨匠といえども、それが今の日本の姿に重なるとは思いもよらなかったのではないか。

 

 半世紀以上前のエビータの舞台と現代の鳩山政権の類似は他にもある。「弱者を救う」との建前で始まったペロンとエビータの強引な政治は、やがて腐敗とスキャンダルにまみれていく。

 

 今の国会も、鳩山首相の母親の献金問題と小沢一郎民主党幹事長の政治資金疑惑で大揺れだ。政権与党のツートップが連日追及される中で、いくら首相が「国民の命を守る」「国民生活第一」などと訴えても説得力がない。

 

 「マザコン・ゼネコン国会」の様相を深める中で、二人に共通する姿勢は数億円単位の巨額のカネの流れを「秘書らに一任していたので知らない」との説明ですませようとしていることだ。だが、そんな答えが国民の常識に照らしてまかり通るとは思えない。

 

 サラリーマンや主婦は10円、100円の単位で日々の生活コストを切り詰めている。中小企業主は数万円、数十万円の損益を追って身を切る思いで働いている。それなのに、権力の頂点にある首相や幹事長が数千万、数億円のおカネが目の前を行き来して「知らぬ存ぜぬ」では、それだけで政治家失格ではないだろうか。

 

 首相は偽装献金について「脱税の認識は全くない」「私腹を肥やしたわけではない」などと強調した。だが、ばれなければ数億円とされる納税もなかったのだから、発覚までは明らかに今よりも私腹は肥えていたのではないか。

 

 納税者が頭を痛める確定申告の季節がまもなくやってくる。首相らの誠意なき弁明が国民の納税意欲をどれだけ阻喪させてしまったかが心配だ。国政への不信はますます募ることだろう。安全保障論議不在の政治の中で、普天間飛行場移設問題も難しくなった。

 

 ミュージカルの世界なら、幕が下りれば観客は現実に返ることができる。だが、このひどい政治に幕が下りるのはいつのことなのだろうか。

 

(この記事は以下の産経新聞本紙コラムでも紹介しました)

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100126/plc1001260324002-n1.htm

 

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虚構の同盟深化協議に?

2010/01/13 19:50

 

 岡田克也外相とクリントン米国務長官がハワイで会談し、日米安保条約改定50周年に向けた同盟深化協議の立ち上げで合意した。だが、これは日米同盟の「フェースセービング」(体面を繕う)合意でしかない。同盟を深めるために欠かせない肝心の米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題が日米合意の早期履行を求める米側との間で平行線に終わったからだ。

 

 19日には改定安保署名50年を迎えるというのに、それを祝うための日米首脳共同声明すら出せないのが現状だ。日米トップ間で意思疎通が図れないほど同盟の信頼関係は危機的状況にある。この現実を早急に是正することが鳩山由紀夫首相の責務というべきだろう。

 

 外相会談の合意によれば、両国の外務・防衛担当閣僚が19日に発表する共同声明を通じて安保条約が果たしてきた役割を評価し、同盟のさらなる深化をめざすことになった。閣僚級の日米安保協議委員会(2プラス2)も今年前半に開催することで一致したという。

 

しかし、日米間の信頼を回復できないままで深化協議を立ち上げても、それは形だけの虚構の同盟談義に終わってしまうのではないか。岡田外相は「1996年に橋本首相とクリントン大統領が日米同盟再定義をしたのと同じようなものができればよい」と語ったが、96年の再定義が成功裏に終わったのは普天間移設合意があったからだ。今回、鳩山政権が普天間の日米合意をタナ上げにして深化協議をめざそうとしてもそうはいかないと思う。

 

 そもそも同盟深化協議は昨年11月の日米首脳会談で鳩山首相が提起し、オバマ大統領が応じた。今年11月に横浜で開かれるアジア太平洋経済協力会議APEC)首脳会議にオバマ氏が再来日するのに合わせて、約1年間かけて同盟を重層的に深めていくための協議を進めるという構想だ。

 

 ところが、同盟の深化を行動で裏付けるための第一歩となるのが在日米軍再編のための日米ロードマップだ。その中心となるのが普天間移設計画だったが、これをめぐって鳩山政権は昨年秋から年末にかけて大きく迷走し、結局は「5月までに新たな移設先を含めて政府方針を決める」ということになった。この間には、鳩山首相がオバマ大統領に「トラストミー」(私を信頼してほしい)と年内決着を約束するかのような発言をしたりして、首脳同士を含む両国間の信頼を大きく傷つけた。

 

 外相会談後の共同記者会見で、米記者団から最初に出された質問は「海兵隊が沖縄からすべて追い出されたりしないとの保証は得られたのか」と冒頭からクリントン長官に詰め寄る内容だった。米側メディアに、「鳩山政権が米海兵隊を沖縄から全面的に追い出すつもりなのではないか」という疑念が渦巻いていることが明らかに感じ取れた。対日不信が当局者からメディアや議会にも拡大しつつある不穏な現状を象徴する質問だった。

 

 安保条約は半世紀を経て日本の安全だけでなく、アジア太平洋の安定と繁栄に欠かせない公共財となっている。これをさらに充実し、日本の国際貢献の拡大を図ることが重要であることは論をまたない。だが、そのために同盟深化協議をめざすというのなら、日米の信頼の絆の回復が欠かせないはずだ。同盟国間の相互信頼がなければ、同盟が深まるはずもないからだ。

 

 日米同盟の現状には、アジア諸国からも「大丈夫なのか」との懸念が出ているという。

 

クリントン長官は共同会見の中で、普天間問題で「現行合意が最善の道だ。日本が約束を守るよう期待する」と、何度も念を押した。同盟深化協議を虚構の営みにしてしまうことがないように、鳩山首相と岡田外相は何よりもまず普天間問題で明確な決断を下す必要があるのではないか。

 

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よみがえるテロの恐怖--クリスマス米機爆破未遂

2010/01/06 15:38

 

 昨年12月の米デルタ機爆破テロ未遂事件をきっかけに、米社会で9年前の911事件(中枢同時テロ)の恐怖がよみがえりつつある。

 

 今回の事件は、米国民に少なくとも3つの衝撃を与えたようだ。

 

まず第1に、米デトロイト空港現地時間では聖なるクリスマス当日だったことだ。よりによって、キリスト教徒にとって最も大切な聖なる行事の一つであるキリスト生誕記念日に大量テロを狙っていたことが衝撃を与えたのだ。

 

2に、使用された爆破物(PTEN)が金属探知機では探知できないもので、まんまと旅客機内に持ち込まれてしまったこともショックだった(犯人は下着に隠して起爆には失敗したものの、発火はしており、陰部に大ヤケドを負ったらしい)。爆発物の量を検分した当局によれば、ゆうに旅客機の胴体をぶち抜くだけの威力があったという。爆破に成功していれば、クリスマス客で満載の旅客機が雪とともに空中爆発して大惨事になるところだったのだ。

 

オバマ政権や国民にとって、未遂に終わったことはまさに「クリスマスの奇跡」といってよい心境だったに違いない。

 

さらに第3のショックは、容疑者の父(ナイジェリアの高名な銀行家)が息子の過激な言動を心配して、事前に米大使館などに通報していたなど「予兆」もあったことがわかったことだ。事前に情報を得ていながら、それを生かすことができなかったことになり、オバマ大統領以下、政府の失態とされかねない。それだけ責任も重いということになる。米政府は外国人旅行客に対するビザ発給手続きを含めて総点検を強いられている。

 

 オバマ大統領2日、容疑者がイエメンの武装組織から軍事訓練や爆破テロの技術指導を受けていたことを確認し、休暇明けの5日には、ホワイトハウスで緊急の関係閣僚会議を開いて「テロ予防対策が失敗した」と認めざるを得なかった。ブレナン大統領補佐も「テロ対策は機能しなかった」と、これまでのテロ防止体制が十分でなかったことを認めている。

 

 オバマ政権で女性初の国土安全保障長官に就任したナポリターノ氏(元アリゾナ州知事)が事件直後に、「(テロ防止の)プロセスは機能した」などと発言したことは、明白な失言として批判されている。

 

 米運輸当局は年明けと同時に、ナイジェリア、イエメンなど14カ国に対して「米国向け搭乗客の保安検査を厳格化してほしい」と要請した。また事件の背後関係として昨年11月、テキサス州の陸軍基地で起きた軍医による銃乱射事件とのかかわりも新たに浮上するなど、事件の余韻はまだまだ尾を引きそうだ。

 

 共和党は事件を機にオバマ政権批判を高めている。オバマ政権が「対テロ戦争」というブッシュ前政権時代の用語を廃止してしまったほか、グアンタナモ収容所閉鎖に動くなど「テロとの戦いを軽視したのが問題だ」と非難している。

 

 これに対して、オバマ政権は「犯人よりも政府を非難するのか」と反論し、両党の対立も過熱しつつある。オバマ大統領一家が事件後ものうのうとハワイで休暇を楽しみ、ホワイトハウスに急いで戻ろうとしなかったことも、国民の不興を買っているようだ。

 

 いずれにせよ、問題は原理主義過激派テロの根が予想以上に深い現実を改めて示したということだろう。

 

 オバマ政権はすでにアフガニスタンパキスタン問題を抱え、今回の事件はイエメンが震源地となった。イラク、アフガン・パキスタンに次いで、「対テロ戦争の第3の戦場」と位置づける意見も少なくない。

 

 といっても米国には直ちにイエメンに米軍を派遣する余裕はない。だからといって、アフガン、イラクなどで手を抜けば、他方でテロが勢いづく恐れがある。「対テロ戦争」という呼び名や用語を別のものに換えたからといって、テロ組織の標的から米国が外れるとはかぎらない。

 

むしろ気を抜かずに、ハードとソフトの両面で根気よくテロ対策を重ねるしかない。それはアメリカの問題ではなく、国際社会全体の責務でもある。無論、日本にとっても対岸の火事ではないことも年頭に銘記しておきたい。

 

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「気まぐれ首相」の”虚言サービス”に新事実

2009/12/30 18:36

 

 Slick Willy”(スリック・ウィリー=つかみどころのないウィリー)とは、ビル・クリントン元米大統領、Tricky Dick”トリッキー・ディック=狡猾なディック)とは、リチャード・ニクソン元大統領の政治家としてのニックネームだ。政敵や米メディアが命名し、いつしか庶民に広まった。

 

 俗語辞典などによれば、前者はあいまいな言葉で相手を丸めこんだり、言を左右に責任逃れをするズルさからこの名がついた。後者は政治にトリックを多用するのでそう呼ばれたそうだ。

 

 クリントン氏は、アーカンソー州知事時代の土地転売疑惑や女性関係をめぐる疑惑などが政界で問題化し、大統領弾劾裁判に持ち込まれた。得意の弁舌や言い逃れを駆使して、弾劾裁判では無罪放免を勝ち取っている。

 

 ニクソン氏はその昔、上院選を戦った際のエピソード(1950年代)が伝わっている。相手の女性候補が左翼系だったため、「彼女は下着まですべて赤い」と品性を疑われるスレスレの個人攻撃を展開した。このため相手陣営から「陰険でずるいディック」と反撃を食らい、それがニックネームに定着したという。最後はウォーターゲート事件で史上初の大統領辞任に追い込まれた。

 

 本人たちにはうれしくない愛称だろうが、それなりに両氏の性格や政治スタイルを言い当てているような気がするから不思議だ。

 

 それでも、二人とも言葉が政治指導者の重要なツールであることは熟知していたに違いない。時には言葉を弄して批判を浴びたものの、そこは政治家である。時代と世界の流れには敏感で、外交・安全保障や経済面でアメリカの国益を見失うことはまずなかった。

 

 ニクソン氏は冷戦さなかに「チャイナカード」を切って歴史的な米中接近の道を開き、ソ連を孤立化させることに成功した。クリントン氏も、旧ユーゴスラビア内戦やコソボ空爆では大筋で妥当な判断を下している。欧州から「ひとり勝ちの経済」などと揶揄されながらも、8年間の任期中は米経済の繁栄と優位を守り抜いた。

 

 日本では鳩山由紀夫首相も、言葉の軽さや迷走発言を批判されている。しかし、クリントン氏やニクソン氏の言動と比べて、大きな違いはこの点、つまり(クリントン、ニクソン両氏が)国益を見失わなかったのに対して、鳩山首相がそうではないことにあると思う。(表現を修正しました)

 

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題で、日米首脳会談でオバマ大統領に「Trust me」(信用してほしい)と語りながら信頼を裏切った発言は、これまでに何度も報じられてきた。

 

コペンハーゲンでクリントン国務長官と交わした会話についても、事後に藤崎一郎駐米大使が長官に呼び出されて、その内容の事実上訂正を求められるという前代未聞の外交ハプニングに発展した。

 

 普天間をめぐる迷走について、首相は正月用ラジオ番組で「ぶら下がり取材などで『多少サービスするか』みたいな発想になったのが拡大されてしまった。反省している」などと語ったそうだ。これには正直いってあきれた。

 

国家の安全をかけた問題に関する判断と、メディアへの「サービス」とでは、おのずから重要度も優先順位もまるで違うはずだが、その弁別すらないのだ。ことによると、オバマ氏クリントン氏らに対しても「サービスのつもり」で心にもないことを発言してきたのだろうか。

 

 政府のトップが最も重要な同盟国の指導者たちの信頼を次々に失えば、日米関係に与える損失は深刻だ。場合によっては首脳会談やトップ会談などの開催すら危ぶまれる。鳩山氏は次にオバマ氏クリントン氏に会うとき、いったいどんな顔と言葉で相手と向かい合うつもりなのだろうか?

 

 言葉の軽さだけなら、いずれはジョークですむかもしれない。だが発言のたびに大切な国益を毀損する指導者では、とても笑う気にならない。

 

ここまでは30日付産経新聞1面コラム「明日へのフォーカス」で指摘したことだが、

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091230/plc0912300235004-n1.htm

 

その直後、米ワシントン・ポスト紙にそっくり同じ問題を指摘する大きな記事(29日付)が出た。

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/12/28/AR2009122802271.html

 

John Pomfret記者による記事は「鳩山新首相に米政府が懸念」という見出しで、クリントン長官が大雪の日にもかかわらず、藤崎大使を国務省に呼び出した場面から始まっている。

 

米政府当局者らの間では、「懸念の中心となっているのは鳩山首相本人とその内閣」であり、しかもそうした懸念が「米当局者らだけでなく、東南アジア諸国の指導者らの間にも広がって」いること、懸念の内容が「地域の安全保障に米国が果たしている役割を損ないかねない」ことにある、と指摘している。

 

鳩山首相個人に対しても、米当局者らが「気まぐれな首相」という印象を深めている。

 

「気まぐれ」にあたる原語は”mercurial”で、英語の辞書によれば「多弁だが、気まぐれで移り気」といった意味だ。決してほめ言葉ではないし、政治指導者としては十分に「問題アリ」ということだ。

 

米国のメディアであり、情報を流しているのが米政府筋だから、「相手にする必要はない、気にする必要はない」という意見もありそうだが、実態を知ればそうではない。

 

とりわけ米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題に関して、私も指摘した「トラスト・ミー」(信用してほしい)という首相発言については、これまでは11月の日米首脳会談での発言1回だけだったと思われてきた。ところが、この記事によれば、鳩山首相はオバマ大統領に宛てた親書でも同じような言い方をしていた新事実が明らかにされている。

 

要するに、首脳会談で「信用してほしい」と聞かされ、「年内解決を約束したもの」として信頼した大統領だったが、その後の展開が手のひらを返したような話になったため、オバマ大統領は非公式に懸念を伝えたという。記事によれば、これに対して鳩山首相側から親書が届けられたが、その中でも再び「信用してほしい。年内には決着させる」といった趣旨が伝えられたという。

 

親書の具体的な表現は明らかにされていないものの、一度ならず二度までも同盟国のトップに「私を信じてほしい」と伝えながら、現実には移設問題は来年5月まで先送りになった。これでは「信用して」と頼むほうが無理だ。「二度と信用しない」と宣告されてもやむを得ない。

 

コペンハーゲンで行われたデンマーク女王主催の晩餐会で、鳩山首相とクリントン長官が同席した際の会話についても、普天間問題先送りについて首相が国務長官から「十分に理解してもらった」と、記者団に説明したことが全くウソだった。長官が藤崎大使を呼び出したのもそのためだった、とこの記事には書かれている。これではまるで「気まぐれと虚言の首相」ではないか。

 

鳩山首相は、すでにワシントン界隈では「ニュー・盧武鉉(ノムヒョン)」と呼ばれている。日米同盟が漂流し始めている兆候について、台湾の馬英九総統が懸念を表明した。他のアジア諸国の指導者らも、心配し始めているそうだ。

 

ここまで指摘されても、まだ「気にする必要はない」という人がどれだけいるだろうか。日米の双方で。

 

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「トラスト・ミー」が不信の始まり

2009/12/14 19:44

 

 米国の国民的モットー(標語)といえば、国章のワシがくわえている「多数からなる一つ」(ラテン語)が最たるものだが、同じようなモットーに「In God We Trust」(われら神を信ず)という標語がある。ドル紙幣などにも印刷されている。

 

 憲法では「信教の自由」をうたっているものの、そこはやはり建国以来の心の支柱の一つにキリスト教信仰があるからだろう。

 

 その米国や、同じ英語圏の国々の居酒屋などを訪ねると、壁に同じ「われら神を信ず」という張り紙を見かけることがある。「はて、これから酒盛りという場でも信仰を確認しないといけないのか?」とクビをひねっていたら、友人が「それは『ツケ払いお断り』ということだよ」と笑って教えてくれた。

 

 どうしてか。要するに、店主は神様以外を信用しない。ということは、神でない普通の客相手には信用貸しもしない。だから、現金でしか酒を売らない――そういう意味なのだ。「われら神のみを信ず」といいつつ、信心にことよせた商売ルールの断り書きなのだ。そう聞いて、妙に感心した思い出がある。

 

 通貨に刻み込むほどに徹底した信心深さは、米国民の宗教的心象の一面かもしれない。一方で、酒場の断り書きもビジネス的心象を表しているといえないか。

 

いずれにも共通しているのは、「信用(trust)」という言葉の重さである。この「信用」の意味を軽んじた行動を取ると、ビジネスでも人間関係でも、思わぬ失敗や危機を招くことになる。

 

その点で心配なのが、鳩山由紀夫首相の発言だ。11月の日米首脳会談で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題の日米合意履行を求めたオバマ米大統領に対し、鳩山首相は「私を信じてほしい(Trust me) 」と語り、大統領は「もちろん、あなたを信じますよ」と応じたという。

 

首相は「ゆるぎない信頼関係」と題したメールマガジン1119日付)でこのやりとりを公表、「大統領と交わしたこの言葉を、国民のみなさまにもぜひ信じていただきたい」と結んでいた。

 

 当然、オバマ氏は「信用」に関する米国民としての心象を踏まえて、首相の約束と受け取ったに違いない。それから1カ月もたたないのに、首相の「信頼関係」は揺らぐどころか、がらがらと崩れてしまった。

首脳会談で合意したプロセスも次々に挫折した。普天間をめぐる日米閣僚級作業部会が中断されただけではない。来年の日米安保条約改定50周年を機に、「同盟をさらに深化発展させる」ために首相が提唱した「同盟深化に向けた政府間協議」も事実上の無期延期となった。

 

それもこれも、鳩山首相の発言が迷走を続け、普天間問題の年内決着を先送りしたためである。

 

8日、東京で開かれた日米関係シンポジウムでは、米知日派から「同盟の信頼が疑われる」といった強い懸念が次々に出た。また、一連の首相発言と迷走について米国内では「『首相を信じる』と語った大統領の顔をつぶした」との怒りの声や、「背信行為」となじる意見もあるそうだ。

 

それでなくとも、米国で日米関係を支えてくれている知日派たちの肩身は狭くなりつつある。今月初め、米外交に影響力を持つシンクタンク「外交問題評議会」会員を対象とした世論調査がピュー・リサーチ・センターから公表された。それによると、「米国にとってより大切な未来の同盟相手」とみられる国は中国がトップで58%、1位はインド55%)で、日本はわずか16%の6位に転がり落ちている。4年前に行われた調査結果と比べると、中国を選ぶ人が倍増し、日本は逆に半減している。

 

 また、同じ調査で一般市民を対象とした数字では、米国の役割について「国内問題に専念せよ」という意見が49%に達し、孤立主義的心情が過去40年来の高さにのぼったという。

 

米国が世界の安全を担う役割から身を引こうとし、日本も「頼れる同盟国」とみられなくなる-。太平洋を超えてそんな危うい伏流が存在することを示す数字といっていい。

 

 「同盟は日本外交の楚」と鳩山首相は語ったが、政権発足から3カ月足らずで、過去の日米指導者たちが地道に築いてきた同盟の信頼、国家の信用といったものを壊し始めた責任は重い。

 

 首相がどんな同盟観を持っているかはいまだに不明だ。だが、普天間の県外・国外移設にこだわるなら、「信じてほしい」と告げて裏切るよりも、初めから「合意を拒否する」と明言していたほうが、信頼という点ではまだましだったとすら思えてくる。

 

 居酒屋の張り紙ではないが、信頼関係にツケ払いはきかない。一度失ったら、その回復には多大な犠牲が必要になるだろう。鳩山首相はその分かれ道に立っていると思う。

 

(この話題は以下の本紙朝刊コラム「土曜に書く」でも扱いました。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091212/plc0912120257001-n1.htm )

 

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しっぽが胴体を振り回すワグ・ザ・ドッグ

2009/12/07 22:15

 

 「犬が西向きゃ尾は東」というのは当たり前のことを表現する言い回しだ。「雨が降ったら天気は悪い」というのも同じである。でも先にシッポが西を向いて頭が東へ、というのでは順番がさかさまになる。

 

1990年代末のことだが、米国で「ワグ・ザ・ドッグ」という政治風刺映画が話題になったことがある。再選キャンペーンを前にしたアメリカ大統領に突如、セックスがらみのスキャンダルが起きる。そこで国民の目をそらせるために、側近たちが謀略を講じて東欧の小国を舞台に架空の戦争をでっち上げる――という筋だった。ダスティン・ホフマン主演の政治ギャグ的な面白くて悲しいコメディだったように思う。

 

日本ではその内容から、「ウワサの真相」という邦題をつけて上映されたが、オリジナルの原題「Wag the Dog」とは、「イヌのしっぽが胴体を振り回す」という意味で、転じて「本末転倒」の事象を指す慣用句だった。権力者の過ちをごまかすために、別の国難をでっち上げる様子がまさに本末転倒--ということだったのではないだろうか。

 

 10年以上前の古い映画をとつぜん思い出した理由は、その筋書きからではない。日本の政治権力の「本末転倒」ぶりが今の鳩山由紀夫政権にピタリとあてはまるように思ったからだ。

 

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題で、「県外・国外移設を」と求める社民党に振り回されているだけではない。二次補正予算問題でも、「政策を完璧にリードしている」と豪語する亀井静香国民新党代表のツルの一声で決着を先延ばしさせられる羽目になった。

 

 衆院選で圧勝した鳩山民主党は衆参400人超の大政党となり、社民党国民新党はその1割にも満たない。党務を預かる小沢一郎幹事長も国政の方向に沈黙したままだ。

 

 いくら連立とはいえ、巨大与党が小政党に事実上の拒否権を行使されて、政権があらぬ方向へ右往左往を続けている。これでは、とても「普通の国」ともいえまい。

 

 民主党の選挙公約にも疑問はあるが、それを堂々と国会の論議にかけて法律にしていくというのなら、まだ筋が通るというものだろう。

 

 だが、首相の偽装献金問題を恐れたか、国会は党首討論もせずに早々と閉会してしまった。政権誕生からまだ2カ月半。この迷走ぶりは目に余ると思う。政治刷新に期待した世論の風向きは、遠からず逆風に向かうのではないかと心配する。

 

 

 それでなくとも、鳩山首相の最近の言動には驚くことばかりだ。一つは「お金」、もう一つは「信頼」に関することだ。

 

湯水のようにわき出る偽装献金問題を見ているうちに「井戸塀政治家」という言葉を思いだす。「井戸塀」とは、政治に没頭して私財を使い果たしてしまい、最後は井戸と屋敷の塀しか残らなかったというほどの意味だ。

 

戦後日本の安全保障を築いた人々の中には、「最後の井戸塀政治家」と呼ばれた藤山愛一郎氏がいる。藤山氏は大会社役員の長男に生まれ、父親の築いた巨大コンツェルンの後継者となる。大企業経営、日本商工会議所会頭、経済同友会代表幹事などを歴任し、財界の有力指導者といわれた。

 

1957年、日米安保条約改定をめざす岸信介内閣発足に伴い、首相に請われて外相に就任したのが政界入りのきっかけという。

 

 「恵まれた身の上」、豊富な資金、派閥のリーダー、政財界の広い人脈など、鳩山氏と通じる面も少なくない。不運なことに藤山氏の場合は、派閥の維持や自民党総裁選への再三の挑戦に私財をなげうっても、総裁=首相の夢はかなえられずに終わった。

 

 その点では首尾よく政権交代を果たし、首相になった鳩山氏は幸運といえる。しかし、日米関係の安定化と将来の同盟強化の基盤を築いた藤山氏の功績と、同盟基盤を崩しかねない迷走を続ける鳩山氏とでは大きな違いがある。

 

 藤山氏には「日本の安全と復興に安保改定は不可欠」との信念があったそうだ。強もてで知られたダレス米国務長官らを説得するなど岸首相とともに歴史的な安保改定(1960年)への道筋を固めた。来年はその安保改定から50周年を迎える。藤山氏の時代に比べると、普天間飛行場移設問題をはじめとして鳩山政権に対する国民や米国の不信感は日に日に募っているようにみえてならない。

 

 日米首脳会談で首相はオバマ大統領に「Trust me」(信じてほしい)と語ったという。だが、いくら言葉は美しくとも、翌日に相手の期待を裏切る発言をするようでは、かえって不信を深めたのではないだろうか。

 

 不信を招く要素の一端はあいまいな「鳩山語録」にありそうだ。「と言った覚えはない」だとか「OOだと信じている」といった言い方も、聞く人には「やOOである」との印象を与えがちだ。しかし、よく読み返すと、決して断言したわけでもない。真意がなかなか示されないのだ。

 

 自らの資金管理団体に5年間に9億円もの資金を母親から提供された問題についても、首相は「母親からの資金提供はないと信じたい」などと説明している。だが、野党時代にあれほど政治資金や秘書の不祥事追及に力を入れ、「私なら議員バッジを外す」と公言していたにしては、自身の政治資金の流れを知らなかったとは信じ難い。「大変驚いた」などという人ごとのような弁明を聞かされると、あきれるばかりだ。

 

 焦点は、母親からの資金を「貸付金」とみるか「贈与」とみるかにある。「首相は9億円の『子ども手当』を受けていた」との批判もある。月1500万円といえば、2日で100万円もの大金だ。これだけのお金をもらって無税で通るというなら、庶民感覚を逆なでするのは確実だ。まじめに贈与税を納めようと考える国民は日本から1人もいなくなってしまうに違いない。

 

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「信じてほしい」は、「疑え」の証拠?

2009/11/21 16:48

 

日米首脳会談で鳩山由紀夫首相がオバマ米大統領に「私を信頼してほしい」(“Trust me”)と語ったと聞いて、以前にアメリカで買ったTシャツを思い出した(下の写真)。

 

 

 ワシントン特派員生活を終えて帰国する途中、家族で立ち寄ったイエローストーン国立公園で、お土産に買ったシャツだ。思い出の品でもあり、アメリカ的ユーモアがこめられている。

 

 

公園内ではクマにエサをやることが禁じられ、「エサをやるな」という看板があちこちに立っている。

 

 

ところがTシャツのクマさん、ずるがしこくて観光客をだますのが得意だ。看板のわきに立って、カモシカの角のついた帽子をちょこんとかぶって、「ボクはクマじゃないよ(だからエサをくれてもいいじゃないか)」と観光客にエサをねだっている図だ。そして、一番下の段には「Trust me」(信じてね)と訴えているのである。

 

このマンガからも分かるように、英米文化圏では”Trust me.”という人間には、ある種のうさんくささがつきまとうものだ。

 

 

ハリウッド映画や小説などに登場するペテン師の類も、相手をだまくらかそうとするときに限って、”Trust me.”を連発するシーンが少なくない。

 

逆に言えば、”Trust me.”という人物や場面は、相手に信用、信頼、誠意を疑われている文脈に置かれていることが多いといってもいいかもしれない。「信頼してほしい」と言わざるを得なくなったときというのは、相手がこちらの誠意に疑いを抱いていることがわかったからにほかならない。(もっと言えば、”Trust me.”と言われたら、「相手を疑ってかかれ」というニュアンスがこの言葉にはあるのではないかと感じている)

 

 

イエローストーンのクマを鳩山首相にたとえるつもりは毛頭ない。でも、日米同盟関係の焦点となっている米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題の経過をみていると、首相の発言のブレ加減とあいまいさには、アメリカならずとも不信の念を抱かざるをえない。

 

 

鳩山首相のメルマガなどによれば、「信じてほしい」と言う首相の発言に対して、オバマ大統領は「わかった。信じましょう」と応えたそうである。だがその翌日夜には、首相はシンガポールで「年内に決着と約束したわけではない」「現行計画(日米合意案)を前提にするなら、日米で閣僚級作業部会を設ける必要はない」といった風な発言をしている。大統領はこれを聞いて、「信じましょうなどと言うんじゃなかった」と、さぞや怒りと後悔をかみしめているのではないだろうかと心配になる。

 

 

 

 

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誰も書けなかったオバマ評伝

2009/11/09 22:45

 

 信頼すべき友人でもあるアメリカ研究者の渡辺将人氏から新著をいただいた。『評伝 バラク・オバマ-「越境」する大統領』という変わったタイトルだ。(集英社刊)

 

 

 渡辺氏は第一線の政治ジャーナリストを経て、アメリカ政治・外交研究に飛び込んだ。アメリカ政治や民主党の内奥深くに豊かな取材ソースを持つ研究者であり、冷静な観察者、ジャーナリストでもある。オバマ夫妻や側近グループらとも親交がある。

 

 大統領選挙の総括も含めて、主にオバマ氏の人物、アイデンティティ、アジア太平洋との関係などを本人の旧師や旧友らの証言を丹念に訪ね歩いてまとめた書だ。日本人の研究者として独自のオバマ評伝を書いたというのは珍しいと思う。これからじっくり拝読することにしよう。

 

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