オバマ米大統領がチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世と会談した。ニュースを聞いていて、米中関係をめぐる因縁めいた話を思い出した。
20世紀が「アメリカの世紀」と呼ばれたのは多くの人が知っている。だが、この言葉が米国で生まれて世界に広がったのは、たかだか70年ほど前のことだった。
時事週刊誌「タイム」、写真誌「ライフ」、ビジネス誌「フォーブズ」などを創設した米国のメディア王で知られるヘンリー・ルースが1941年2月、「アメリカの世紀」と題する論説を自ら編集長を務めるライフ誌に発表したのがその始まりだ。
「……17世紀、そして18、19世紀を通じて、われらのアメリカ大陸は多様な活動と壮大な目的に満ちていた。それらのすべてを織り成し、一貫していたのは自由という輝かしい目標であった。この精神に基づいて、われわれすべてがそれぞれの能力と理念に応じて取り組まねばならない使命がある。それは偉大なアメリカの世紀を築くことである」(アメリカの世紀より)
時は欧州大戦のさなかである。英国はヒトラーの攻勢に苦戦し、アジアも風雲急を告げていた。ところが当時の米国では、ひところの日本の「一国平和主義」と似て、「世界がどうなろうと関係ない」といった孤立主義的な考え方がまだ主流を占めていた。
そんな中でルースは「米国は孤立主義を捨てて英国を支援し、ナチズムと戦うべきだ」と参戦を訴えた。自由や民主主義などの「価値や理念」の下に諸国を結集し、英国に代わって新たな秩序を築く指導的役割を担うべきだ-と国民に呼びかけたのだった。
ルースは共和党員で、ソ連共産主義やナチス・ドイツのような左右の全体主義を忌避し、自由を掲げる反共保守の言論人だった。その訴えはやがて国民にも共有され、党派を超えてルーズベルト政権(民主党)を動かし、米国は参戦に向かう。英国、フランス、ソ連などにナチスと戦うための武器を供与する「レンドリース法」が制定され、米国は連合国の指導国となっていく。「アメリカの世紀」論文は、内向きになりがちだった米国民の心に「世界の中の米国」の自覚と時代の精神を刻んだといってもいい。
では、ルースが唱えた国際主義はどこからきたのだろうか。ルースの経歴を調べてみると、その源流は中国にあったのだ。
ルースの父親はプロテスタントの一派で長老派教会と呼ばれる宗派の宣教師だった。清朝末期に宣教師の子として生まれ、山東省で育った。その後、ルースは15歳で米国に戻り、エール大学や英オックスフォード大学で学んだ。その中で、開かれた米国社会と、いまだに封建制の名残りが続く中国社会の民衆生活の間に横たわる壮大なギャップを痛感したという。成人して言論人となった後も、ルースの心には「中国に改革と民主主義が必要だ」という熱い思いがみなぎっていたという。幼少時に肌で触れた中国の人々を思う情熱がその思想を貫いていた。
ルース論文にこめられたキリスト教精神に基づく国際主義は、第二次大戦後も冷戦を経て米外交・安全保障政策の屋台骨となっっていった。その思いは、今もオバマ政権の国務省ホームページで「ヘンリー・ルースと20世紀のアメリカ国際主義」と題して紹介されていることにも表れている。
ナチズムは倒れ、ソ連共産主義も(ルースの死後ではあったが)ついには崩壊した。しかし、中国の民主改革への願いは実らないまま米国の世紀(20世紀)は過ぎていった。
今や中国は地球規模で存在感を高めつつある。大統領がダライ・ラマと会うのも遠慮しがちになるほど、米中双方の力関係も微妙に変わってきている。21世紀を「アジアの世紀」と呼ぶ人もいれば、「中国の世紀」になると予想する人すら少なくない。
それでも、誰かが中国に責任ある行動を求め、際限のない軍拡をとがめなければならない。人権などの国際規範を尊重させることも必要だ。現代の世界でそうしたソフトやハードの力を持ち合わせている国があるとすれば、それは米国以外にはないだろう。
政治も経済も、米国だけでは動かない時代になったとすれば、頼れる同盟国としての日本がなおさらしっかりしなければならない。日本にとって「アメリカの世紀」が問いかけたものはそういうことだと思う。




by 小バ沢わ
「アメリカの世紀」と中国